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2010年05月03日

切手は楽しいね世界最初の切手や横浜最古の郵便も展示

かながわ県民センター
 「楽しい切手展」が3日、横浜市神奈川区のかながわ県民センターで開かれた。切手収集の普及、発展に努める財団法人日本郵趣協会主催。

 8月開催の青少年のための切手展と、来年7月開催の国際切手展がともに横浜市内で開かれるため、切手に関心を持ってもらおうと企画された。

 県内在住者中心に会員20人が「日本の絵画」「時代を映す標語印」などをテーマに、切手やはがきを展示。「神奈川県を描く郵便切手」では、年賀切手に伊勢原市大山の郷土玩具(がんぐ)竹ヘビが採用されたことや、日本の郵便制度の創始者である前島密の墓が横須賀市内にあることなども紹介された。

 1840年にイギリスで発行された世界最初の切手や横浜郵便役所(現横浜港郵便局)の消印が押された横浜最古の郵便も並べられ、使用済みの切手を使ったはり絵のワークショップも開かれた。
posted by ちーず。 at 20:31 | TrackBack(0) | 横浜市

いざ出陣!小田原で北條五代祭り早雲公役に阿藤快さん

北條五代祭り
 いざ、出陣―。小田原市の北條五代祭りが3日、開かれ、甲冑(かっちゅう)姿の騎馬武者やあでやかな姫君などが小田原城址周辺を練り歩いた。

 初代の早雲公には俳優で小田原ふるさと大使の阿藤快さんが扮(ふん)し、1800人の行列が小田原城址から商店街を通る2・7キロの道のりをゆっくりと進んだ。

 沿道は18万人(市観光協会発表)の観光客や市民で埋まり、大勢の外国人観光客の姿も。眼前で再現される勇壮な戦国絵巻を興味深そうに眺めていた。
posted by ちーず。 at 20:30 | TrackBack(0) | 小田原市

通常のヒラメと違い歴然、背中側も“真っ白な”ヒラメを展示

八景島シーパラダイス
 腹側だけでなく背中側も“真っ白な”ヒラメの成魚(体長約35センチ)が千葉県・館山沖で取れ、横浜・八景島シーパラダイス(横浜市金沢区)のアクアミュージアムで展示されている。

 ヒラメは通常、目のある背中側が茶色で、周囲の環境に合わせて色の濃さや模様が変化する。

 同館によると、展示中のヒラメは先天的に色素が欠乏している「白化個体」のため、背中側も真っ白になった。目玉と、目の周辺、尾びれ、胸びれはかろうじて茶色だが、通常のヒラメと比べると、違いは歴然。生息する海底の砂の色に体色を似せる「擬態」もできないという。

 白化個体は敵から身を隠せず、餌を取るにも困難が伴うので、通常は生まれてもすぐ死んでしまうという。同館は「厳しい自然界で、どうやってここまで成長したのか」と、首をかしげている。
posted by ちーず。 at 20:28 | TrackBack(0) | 横浜市

トンビにさらわれた豪州原産トカゲ拾得物として警察署に

フトアゴヒゲトカゲ
 葉山町一色のマンション駐車場の植え込みで、豪州原産の「フトアゴヒゲトカゲ」が捕獲され、近所の男性が1日、拾得物として葉山署に届け出た。同署が飼い主を探していたところ、捕獲された場所から西に約150メートル離れた住宅街に住む主婦(35)が2日、飼い主と名乗り出た。

 同署によると、トカゲは体長約45センチで、胴体部はクリーム色。のどのあたりにとがったうろこがあり、興奮すると黒さを増し、ひげのように見える。国内でも販売されており、ペットとして人気が高いという。

 同署に対し、主婦は「庭でひなたぼっこをさせていたら、トンビに持って行かれた」と説明。同署はトカゲの特徴や携帯電話に収められた画像から飼い主と認定した。現在は衰弱しているため、横浜市立野毛山動物園が保護している。

 同署の栗山不二夫副署長は「珍しい“拾得物”。飼い主が見つかり、ほっとしている」と胸をなで下ろしていた。
posted by ちーず。 at 09:47 | TrackBack(0) | 葉山町

戦争は愚かで役立たず「ひょうたん島」に携わった須田さんの心に残るメッセージ

井上ひさし
 劇作家井上ひさしさんの死去から1カ月がたとうとしている。世の流れを読み、深刻な問題を笑いと風刺で切り取った“現代の語り部”。反戦や護憲の立場で発言し、作品には平和や民主主義の要素を盛り込んだ。代表作「ひょっこりひょうたん島」の制作に携わった人形劇団ひとみ座前代表の須田輪太郎さん(81)=川崎市中原区=の心に残る、井上さんのメッセージとは−。


■マムシは戦争遺産

 「マムシがね、多いんですよ」。2005年9月、「かわさき九条の会」発足を記念した特別講演での第一声が、この意外な一言だった。「自宅のある鎌倉から茅ケ崎などにかけた相模湾沿岸は本当に多い。実は戦争末期、米軍の本土上陸を警戒した旧日本海軍が海岸線に穴を掘らせ、中にマムシを入れたんです」。笑いにわく聴衆。そこで一言。「でも米軍人は厚いゲートルを履いているから、かみつけるわけない。おかしいですよねえ」。須田さんは、井上さんらしい語り口を鮮明に覚えている。

 「戦争をパロディーにして描いていた」と須田さん。1960年代にテレビ放送されたひょうたん島では頻繁に戦争が繰り広げられた。「住民は島を守ろうと奮闘するが、その姿がトンチンカンで視聴者は『ばかだな』って笑っちゃう」。島の大統領ドン・ガバチョは戦国武将豊臣秀吉をまね、よろいかぶとに身を包み采配(さいはい)を振る。住民はハチが飛び出す機関銃で攻めてくる海賊をやっつける。こっけいさの裏には「『戦争は愚かで何の役にも立たない』というメッセージが込められていた」と須田さんは言う。


■幽霊は自由の象徴?

 「ひょうたん島の住民は幽霊なんだ」。あるとき、井上さんがふと言ったという。その真意は聞かずじまいになったが、こう推測する。「幽霊は何ものにも拘束されない。自由の象徴として描きたかったのだと思う」。ライオン、ギャング、海賊…。島には個性豊かなキャラクターが次々と登場したが新参者を排除することはなかった。「時にけんかもするけど、互いの違いを認めながら一緒に生きていこうと。民主主義の形を追及したのでは」

 一国の大統領に、子どもである“島の超天才少年”博士が「それじゃだめだよ、ガバチョさん」と意見する場面がしばしばあった。


■笑いは献身的であれ

 「ユーモアと笑いなしには語れない人」。制作の打ち合わせで、放送局のエレベーターで出くわしたときのこと。1階で一緒に乗り込んだ当時30代の井上さんは「わたしはここで」と2階で降りた。だが3階に着き扉が開いた瞬間、目の前には彼の姿が。「やあ、みなさんしばらくです」。涼しい顔で再び乗り込んできた井上さんに、周囲は大爆笑だったという。「みんなを笑わせようと、階段を猛烈にダッシュしたわけです。『笑いは献身的でなくてはならない』と思いましたよ」

 心に残るのは、井上さんが座右の銘とした言葉。

 むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに―。
posted by ちーず。 at 09:45 | TrackBack(0) | 川崎市