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2010年05月30日
京急主力車両「1000形」の引退イベントに県内外からファン
赤い車体に白い帯の入った姿で長年親しまれてきた、京浜急行電鉄の通勤型車両「1000形」の引退イベントが30日、横須賀市舟倉の車両工場「京急ファインテック久里浜事業所」で行われた。本年度内での引退が決まっている”京急の顔”を一目見ようと、多くの鉄道ファンが県内外から駆け付けた。
毎年恒例の工場開放と同時開催。1000形は1959年に登場し、78年まで京急で最多となる356両が製造されたかつての主力車両。老朽化のため、2007年から省エネ型の「新1000形」との入れ替えが進められており、現在は大師線(京急川崎―小島新田)での運行が主流になっている。
多くの鉄道ファンの熱気に包まれたセレモニーでは「ありがとう1000形」とデザインされたオリジナルヘッドマークを現役最後の1000形1編成に取り付けたほか、運転に長年携わった元運転士らによるトークショーも行われた。
熱心にシャッターを切っていた、埼玉県加須市の会社員(35)は「小さいころに買った鉄道の本の最初に載っていた車両。もうすぐ見られなくなるのは寂しいです」と感慨深げに話していた。
posted by ちーず。 at 23:40
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| 横須賀市
「山駕籠」など運ぶための民具を展示
箱根町立郷土資料館(同町湯本)で、企画展「『運ぶ』ための民具たち」が開かれている。明治、大正時代に人力で荷物を運ぶために生まれた道具を展示する。7月4日まで。
箱根では明治時代に車道の整備が始まり、昭和中ごろに交通網が発達した。荷物の運搬を電力に頼る以前、天下の険で活躍した民具約15点が並ぶ。
竹で編んだ人を乗せる円形の座席の上に網代の屋根を掛けた「山駕籠(かご)」は、昭和10年代まで活躍した。2人一組で棒を通して担ぎ、主に大涌谷への観光客を乗せていた。
外国人客が訪れるようになった明治中ごろに登場したのが「チェア」だ。人を乗せるいすを2本の棒で支え、4〜6人で担いだ。あぐらをかく習慣のない外国人のために山駕籠が改良されたという。
午前9時〜午後4時半。高校生以上200円、小中学生100円。問い合わせは、同資料館電話0460(85)7601。
posted by ちーず。 at 23:39
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| 箱根町
親子で訪ねる横浜大空襲地域の傷跡や体験者の声まとめHPに
横浜市心部に甚大な被害をもたらした横浜大空襲から29日で65年。体験者の高齢化が進む中、これからは戦後生まれの若い住民が地域の戦災を語り継ごうと、同市保土ケ谷区の会社員西田篤志さん(46)が、空襲の傷跡や体験者の声をホームページ(HP)にまとめた。娘の宿題を機に地元の戦災を調べ始めたという西田さん。HPには「親子で訪ねる横浜大空襲」とタイトルを掲げ、「家族で平和の貴さを考えるきっかけにしてほしい」と話している。
西田さんが横浜大空襲について詳しく知ったのは7年前。小学6年だった次女の梓さん(19)が、夏休みの課題で地域の歴史を調べていたのがきっかけだ。西田さんが一時暮らしていた同市西区東ケ丘付近は、横浜大空襲で大きな被害を受けていたが、「住んでいたのに何も知らなかった。本当に恥ずかしく思った」と振り返る。
以来、空襲被害の大きかった京急線黄金町駅周辺を歩き始めた。霞ケ丘丘友会館の観音像、東光寺の身代わり地蔵は、空襲で亡くなった人を慰霊するために建立されたものだ。遺体の仮安置所だった円覚寺には引き取り手のない遺体の慰霊碑もある。地元の高齢者らから体験談も聞いた。空襲に関連する事物を訪ねて、梓さんと歩いたコースは、HPで紹介している。
普門院にも周辺の被災者を供養する黄金地蔵が残る。割れた石碑も空襲で焼けたもので、「この石碑を見ると、石が割れるほどの熱の中で、多くの人が苦しみながら亡くなったのだと実感する」と西田さん。空襲で父を失った森芳圓住職(68)も「戦争の恐ろしさを風化させないように、若い人にも語り継いでいってもらいたい」と西田さんの取り組みに期待を寄せる。
HPでは、横浜大空襲の経緯を、祖母と孫の会話のスタイルで紹介したり、顔のイラストを並べて死亡者数を表現したりと、小・中学生にも分かりやすいよう工夫した。「身近なところに今も戦争の傷跡は残っている。子どもと一緒に訪れて、戦争の悲惨さを伝えてほしい」と西田さんは話している。HPのアドレスはhttp://otomodachi.net
posted by ちーず。 at 23:36
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| 横浜市
「第1工場ファサード」の行く末は?歴史的建造物に存続の声強く
本社・横浜工場売却で注目を集めているのが、敷地内の正門入り口にある「第1工場ファサード」の行く末だ。1930年に完成。横浜市が99年度、京浜臨海部では初めての歴史的建造物として認定している。
第1工場は当時東洋一と呼ばれた蓄音機の製造工場で、経済産業省の近代化産業遺産にもなっている。工場建築としては珍しく記念碑のようなデザインが特徴。ビクターのシンボルとなっている犬(ニッパー)が蓄音機に耳を傾けるおなじみの図柄も彫り込まれている。
機能本位の建物が並ぶ地域でクラシックな外観は地域の象徴的な存在になっており、存続を求める声が強い。市産業立地調整課は「移転せずに現在の場所にとどまってほしいと思っていたが、残念」。何らかの形で存続できるようビクターに要望しているという。
JVC・ケンウッドは「市の要望もあるので、売却先とはこれから話し合いたい」としている。
posted by ちーず。 at 23:35
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| 横浜市
曽我兄弟の仇討ち伝える「曽我の傘焼まつり」
曽我兄弟の仇(あだ)討ちを今に伝える「曽我の傘焼(かさやき)まつり」が28日、兄弟の菩提(ぼだい)寺の城前寺(小田原市曽我谷津)で催された。
鎌倉時代の1193(建久4)年、十郎と五郎の兄弟が父を仇討ちした際、傘を燃やして松明(たいまつ)代わりにした、という故事にちなむ。
兄弟に扮(ふん)した幼子2人が、幾重にも重ねられた和傘に火を放つと一気に燃え上がり、法要に訪れた歌舞伎役者の市川右近さんや大相撲の高見盛関らが見守った。
posted by ちーず。 at 23:33
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| 小田原市
大漁旗の手作り法被旭小6年生が29日の運動会で披露
三浦市立旭小学校(南下浦町上宮田)の6年生17人が、運動会で使う手作りの法被を完成させた。漁師町ならではの大漁旗で5年ぶりに新調した2代目の法被。29日の本番では真新しい衣装をまとい、よさこいソーラン節や組体操を演じる。
同校では5年前、各家庭から寄贈された大漁旗を使って児童たちが約60着の法被を製作した。しかし、年月がたって色あせてきたことから、自分たちで新しい法被を作ることになったという。
3月から、家庭科の時間などを活用。校内に残っていた大漁旗を使い、背中に「祝」「漁」などの文字が躍るカラフルで勇壮な法被が出来上がった。
28日には新しい法被を着て5年生と合同練習に励み最後の確認。練習を終え、鈴木丞さん(12)は「法被作りはバラバラのパーツをつなぎ合わせるのに苦労した。お客さんを感動させるような踊りや体操を披露したい」と張り切っていた。
posted by ちーず。 at 23:31
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| 三浦市
川崎大師で薪能能や狂言を楽しむ
川崎市川崎区の川崎大師平間寺で27日夜、「第37回川崎大師薪(たきぎ)能(のう)」が開かれ、約550人が能や狂言を楽しんだ。
市能楽謡曲連合会の主催。境内の特設舞台で行われる予定だったが、あいにくの雨で会場が信徒会館内に変更された。
能は、平家一門が都落ちし、将来を案じて入水した平清経と妻にまつわる世阿弥の作品「清経」が演じられた。このほか、狂言「仏師」なども披露され、観客は幽玄な雰囲気に酔いしれた。
posted by ちーず。 at 23:30
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| 川崎市