■姿を消した伝統漁
風に帆を膨らませ、海面をたゆたう。横向きに進む独特の底引き漁は、東京湾の豊穣(ほうじょう)の象徴だった。子安や金沢、本牧などに浮かんだ打瀬舟は「ハマの海」の原風景でもあった。
優雅に浮かぶ舟はしかし、時代の波にのまれた。
昭和30年代からの高度経済成長期。発展の中心を縁取る東京湾は埋め立てが進み、漁場は荒れた。漁師は舟を手放し、陸に上がった。船、漁法の近代化も進んだ。昭和40年代には、打瀬舟は湾から姿を消した。
「そのころは、海が一番汚れていた時代」。同研究会の木村尚さんはそう話す。
横浜市港北区で育った。東海大海洋学部を卒業後、環境コンサルタント会社を設立。主に開発調査にかかわり、海が荒(すさ)んでいくさまをつぶさに見てきた。「思いとは裏腹に、開発の免罪符を与えるような仕事でした」
にび色に濁る故郷の海。「人々の意識が海から遠ざかり、海辺の文化や生活が失われていく。環境が壊れるというのは、こういうことか」。2001年。会社を辞め、海辺つくり研究会をつくった。
■再生へ歩み始め
会は魚の揺りかごと称される海草・アマモ場づくりなどを通し、海の再生に尽力している。金沢八景の野島周辺で5メートル四方から始まったアマモ場は、約2千倍に広がった。
「アオリイカも卵を産みにくるなど、かつての海の姿が戻ってきている」と話す木村さんは、「でもね」と続ける。「海だけではなく、それを取り巻く人間の文化や生活がよみがえらないと、本当の再生とは言えない」。古き良き時代のシンボルとして、打瀬舟はうってつけだった。
08年、共鳴し合った仲間と「打瀬舟の会」を発足した。
■大人の最高の遊び
今年に入り、打瀬漁が現存する熊本県芦北に出向き、寄付で集めた資金をもとに中古船を譲り受けた。
打瀬舟の上には、静かな時間が流れていた。「帆に風を受けて、ここで酒を飲んだら最高だろうなって」。舟は6月2日に現地を出港し、会員3人が交代で操船、13日か14日には横浜の東神奈川に寄り、東京湾に入る予定だ。
その後、各種イベントで漁体験などに使用する。「子どもに海のことを考えてもらうきっかけになればうれしい。打瀬舟を東京湾再生の象徴にしたい」
木村さんは、笑った。「大人の最高の遊び。だけど、夢があっていいでしょ」