
劇作家井上ひさしさんの死去から1カ月がたとうとしている。世の流れを読み、深刻な問題を笑いと風刺で切り取った“現代の語り部”。反戦や護憲の立場で発言し、作品には平和や民主主義の要素を盛り込んだ。代表作「ひょっこりひょうたん島」の制作に携わった人形劇団ひとみ座前代表の須田輪太郎さん(81)=川崎市中原区=の心に残る、井上さんのメッセージとは−。
■マムシは戦争遺産
「マムシがね、多いんですよ」。2005年9月、「かわさき九条の会」発足を記念した特別講演での第一声が、この意外な一言だった。「自宅のある鎌倉から茅ケ崎などにかけた相模湾沿岸は本当に多い。実は戦争末期、米軍の本土上陸を警戒した旧日本海軍が海岸線に穴を掘らせ、中にマムシを入れたんです」。笑いにわく聴衆。そこで一言。「でも米軍人は厚いゲートルを履いているから、かみつけるわけない。おかしいですよねえ」。須田さんは、井上さんらしい語り口を鮮明に覚えている。
「戦争をパロディーにして描いていた」と須田さん。1960年代にテレビ放送されたひょうたん島では頻繁に戦争が繰り広げられた。「住民は島を守ろうと奮闘するが、その姿がトンチンカンで視聴者は『ばかだな』って笑っちゃう」。島の大統領ドン・ガバチョは戦国武将豊臣秀吉をまね、よろいかぶとに身を包み采配(さいはい)を振る。住民はハチが飛び出す機関銃で攻めてくる海賊をやっつける。こっけいさの裏には「『戦争は愚かで何の役にも立たない』というメッセージが込められていた」と須田さんは言う。
■幽霊は自由の象徴?
「ひょうたん島の住民は幽霊なんだ」。あるとき、井上さんがふと言ったという。その真意は聞かずじまいになったが、こう推測する。「幽霊は何ものにも拘束されない。自由の象徴として描きたかったのだと思う」。ライオン、ギャング、海賊…。島には個性豊かなキャラクターが次々と登場したが新参者を排除することはなかった。「時にけんかもするけど、互いの違いを認めながら一緒に生きていこうと。民主主義の形を追及したのでは」
一国の大統領に、子どもである“島の超天才少年”博士が「それじゃだめだよ、ガバチョさん」と意見する場面がしばしばあった。
■笑いは献身的であれ
「ユーモアと笑いなしには語れない人」。制作の打ち合わせで、放送局のエレベーターで出くわしたときのこと。1階で一緒に乗り込んだ当時30代の井上さんは「わたしはここで」と2階で降りた。だが3階に着き扉が開いた瞬間、目の前には彼の姿が。「やあ、みなさんしばらくです」。涼しい顔で再び乗り込んできた井上さんに、周囲は大爆笑だったという。「みんなを笑わせようと、階段を猛烈にダッシュしたわけです。『笑いは献身的でなくてはならない』と思いましたよ」
心に残るのは、井上さんが座右の銘とした言葉。
むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに―。