
源頼朝が建立し、幻の大寺院とも呼ばれる廃寺「永福寺(ようふくじ)」(鎌倉市二階堂)の復元事業が、本年度からいよいよ本格化する。これまで市教育委員会で発掘調査や用地買収を進めてきた。今後は4カ年計画で、三つの堂跡を示す基壇(基礎の部分)や池の整備に着手。史跡公園として2013年度内の公開を目指す。
永福寺は、1189年に奥州藤原氏を攻め滅ぼした後、頼朝が建立を指示した。戦いで死んだ兵士らの鎮魂のためとされている。
堂の前には広大な池が造成され、橋や中島のほか、やり水も配置された。極楽浄土を地上に現したその造りは、藤原氏の拠点・平泉(岩手県)の影響が色濃く反映され、毛越寺や中尊寺で見られる「浄土思想」が取り入れられている。
鎌倉幕府滅亡後も室町幕府に保護されたが、1405年の火災で焼失。以後、建物を再建したとする記録は見当たらず、15世紀中ごろ以降には廃寺になったとみられる。本堂の「二階堂」は現在も地名として残されている。
1966年には永福寺跡として約8万7500平方メートルが国指定史跡となり、用地買収がスタートした。市教委は78年、将来的な復元整備の方針を盛り込んだ保存管理計画を策定し、83年から96年まで初の大規模な発掘調査も行った。
調査の結果、三つの堂は一直線に置かれ、それぞれが回廊で結ばれていたことが判明。回廊の両端は池に張り出す形で延び、池の大きさも明らかになった。
市教委は復元方法を専門家や文化庁と協議する一方、用地取得や背後の山林整備を進め、本格的な復元に向け準備を整えてきた。
計画では三つの堂の基壇のほか、池や庭園、やり水などを復元対象とし、堂そのものは再建しない。2010年度にまず二階堂の南側に位置する阿弥陀堂の基壇復元に取り組み、11年度に二階堂と北側の薬師堂の基壇を、12年度と13年度に池と庭園をそれぞれ整備する方針。
これらの方針は6月ごろ、歴史や建築学、庭園の専門家で構成される「史跡永福寺跡整備委員会」に諮り、了承されれば正式に決定する。
永福寺跡は、鎌倉市などが進める世界遺産登録の候補資産にもなっており、市教委文化財課は「復元されることで登録の一助になれば」としている。