
65年前の1945年5月29日。横浜市中区で横浜大空襲に見舞われた元横浜市立高校長の石原洋二さん(76)=町田市=が27日、横浜市港北区の市立大綱中学校で体験談を語った。家や塀が焼け、爆撃も続く中、祖母と叔母の手を引いて逃げた壮絶な記憶を初めて公に語ったという石原さん。被災時の自分と同年代の中学1年生約280人に「戦争の悲惨さを知ってほしい」と呼び掛けた。
石原さんは今も空襲体験を詳細に覚えている。その日は平日で、両親は仕事、3歳上の兄は勤労動員で外出。自宅には祖母と叔母、病気療養のため疎開先から戻った11歳の石原さんの3人がおり、警報とともに庭の防空壕(ごう)に入った。
聞いたことがないような激しい音が通り過ぎた後、外へ出てみると自宅も近隣の家も燃えていた。火の海の中を逃げるが、戦闘機が追ってくる。逃げ遅れた人が撃たれ、跳ね上がったのも見えたが、ひたすら逃げた。ようやく着いた避難先の三渓園ではやけどを負った人々が泣き叫び、食糧を求めて向かった小学校には焼死体が丸太のように並んでいたという。
講演会は平和学習の一環で同校が企画、生徒らは石原さんの話に真剣に耳を傾けていた。植松雪乃さん(12)は「住んでいた街がなくなるほどの空襲だったと聞いて、あらためて戦争の恐ろしさが分かった」と話していた。