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2010年05月30日

親子で訪ねる横浜大空襲地域の傷跡や体験者の声まとめHPに

横浜大空襲
 横浜市心部に甚大な被害をもたらした横浜大空襲から29日で65年。体験者の高齢化が進む中、これからは戦後生まれの若い住民が地域の戦災を語り継ごうと、同市保土ケ谷区の会社員西田篤志さん(46)が、空襲の傷跡や体験者の声をホームページ(HP)にまとめた。娘の宿題を機に地元の戦災を調べ始めたという西田さん。HPには「親子で訪ねる横浜大空襲」とタイトルを掲げ、「家族で平和の貴さを考えるきっかけにしてほしい」と話している。

 西田さんが横浜大空襲について詳しく知ったのは7年前。小学6年だった次女の梓さん(19)が、夏休みの課題で地域の歴史を調べていたのがきっかけだ。西田さんが一時暮らしていた同市西区東ケ丘付近は、横浜大空襲で大きな被害を受けていたが、「住んでいたのに何も知らなかった。本当に恥ずかしく思った」と振り返る。

 以来、空襲被害の大きかった京急線黄金町駅周辺を歩き始めた。霞ケ丘丘友会館の観音像、東光寺の身代わり地蔵は、空襲で亡くなった人を慰霊するために建立されたものだ。遺体の仮安置所だった円覚寺には引き取り手のない遺体の慰霊碑もある。地元の高齢者らから体験談も聞いた。空襲に関連する事物を訪ねて、梓さんと歩いたコースは、HPで紹介している。

 普門院にも周辺の被災者を供養する黄金地蔵が残る。割れた石碑も空襲で焼けたもので、「この石碑を見ると、石が割れるほどの熱の中で、多くの人が苦しみながら亡くなったのだと実感する」と西田さん。空襲で父を失った森芳圓住職(68)も「戦争の恐ろしさを風化させないように、若い人にも語り継いでいってもらいたい」と西田さんの取り組みに期待を寄せる。

 HPでは、横浜大空襲の経緯を、祖母と孫の会話のスタイルで紹介したり、顔のイラストを並べて死亡者数を表現したりと、小・中学生にも分かりやすいよう工夫した。「身近なところに今も戦争の傷跡は残っている。子どもと一緒に訪れて、戦争の悲惨さを伝えてほしい」と西田さんは話している。HPのアドレスはhttp://otomodachi.net
posted by ちーず。 at 23:36 | TrackBack(0) | 横浜市

「第1工場ファサード」の行く末は?歴史的建造物に存続の声強く

第1工場ファサード
 本社・横浜工場売却で注目を集めているのが、敷地内の正門入り口にある「第1工場ファサード」の行く末だ。1930年に完成。横浜市が99年度、京浜臨海部では初めての歴史的建造物として認定している。

 第1工場は当時東洋一と呼ばれた蓄音機の製造工場で、経済産業省の近代化産業遺産にもなっている。工場建築としては珍しく記念碑のようなデザインが特徴。ビクターのシンボルとなっている犬(ニッパー)が蓄音機に耳を傾けるおなじみの図柄も彫り込まれている。

 機能本位の建物が並ぶ地域でクラシックな外観は地域の象徴的な存在になっており、存続を求める声が強い。市産業立地調整課は「移転せずに現在の場所にとどまってほしいと思っていたが、残念」。何らかの形で存続できるようビクターに要望しているという。

 JVC・ケンウッドは「市の要望もあるので、売却先とはこれから話し合いたい」としている。
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2010年05月29日

ベイブリッジくぐれず「QM2」の2011年寄港地は大阪港に横浜港では見納めの可能性

クイーン・メリー2
 世界最大級の豪華客船「クイーン・メリー2」(QM2)が、2011年の日本寄港地を横浜港から大阪港に変更することが27日、分かった。横浜には日本初寄港の09年から2年連続で寄港したが、横浜ベイブリッジをくぐれず貨物船専用岸壁に誘導したため、乗客から不満が出ていたという。

 運航するキュナード・ラインが同日までに横浜市に伝えた。今後の解決策も見当たらず、横浜港では今年2月の寄港が見納めになる可能性が出てきた。

 QM2は日本に寄港する客船では過去最大の15万1400トン。「洋上の宮殿」と称される。世界一周クルーズの日本寄港地として大阪、長崎、神戸港などが積極的に誘致している。

 横浜市は09年の横浜開港150周年の目玉として、日本初寄港の誘致に成功。しかし海面からの高さが62メートルあり、かつての豪華客船「クイーン・エリザベス2」(QE2)を想定して造られたベイブリッジ(橋下約55メートル)を通過できず、大さん橋国際客船ターミナルへの着岸を断念。大黒ふ頭に着岸した。

 臨時の客船施設が設けられたが、乗客がつまずき転倒するトラブルもあったという。キュナード・ライン側は「乗客に不便を掛けており、横浜市に改善を求めてきた」(日本代理店クルーズバケーション)が、解決策が見いだせなかった。

 横浜市港湾局賑(にぎ)わい振興課は「限られた予算の中でベストを尽くした。大さん橋に着岸する客船の誘致に引き続き力を入れたい」と話している。
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「戦争の悲惨さ知って」横浜大空襲経験の元校長が体験談語る

横浜大空襲
 65年前の1945年5月29日。横浜市中区で横浜大空襲に見舞われた元横浜市立高校長の石原洋二さん(76)=町田市=が27日、横浜市港北区の市立大綱中学校で体験談を語った。家や塀が焼け、爆撃も続く中、祖母と叔母の手を引いて逃げた壮絶な記憶を初めて公に語ったという石原さん。被災時の自分と同年代の中学1年生約280人に「戦争の悲惨さを知ってほしい」と呼び掛けた。

 石原さんは今も空襲体験を詳細に覚えている。その日は平日で、両親は仕事、3歳上の兄は勤労動員で外出。自宅には祖母と叔母、病気療養のため疎開先から戻った11歳の石原さんの3人がおり、警報とともに庭の防空壕(ごう)に入った。

 聞いたことがないような激しい音が通り過ぎた後、外へ出てみると自宅も近隣の家も燃えていた。火の海の中を逃げるが、戦闘機が追ってくる。逃げ遅れた人が撃たれ、跳ね上がったのも見えたが、ひたすら逃げた。ようやく着いた避難先の三渓園ではやけどを負った人々が泣き叫び、食糧を求めて向かった小学校には焼死体が丸太のように並んでいたという。

 講演会は平和学習の一環で同校が企画、生徒らは石原さんの話に真剣に耳を傾けていた。植松雪乃さん(12)は「住んでいた街がなくなるほどの空襲だったと聞いて、あらためて戦争の恐ろしさが分かった」と話していた。
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2010年05月26日

ペリーの時計が再び時を刻む修理し動く状態で公開へ

横浜開港資料館
 日米和親条約を締結したペリーが、江戸末期に来航した静岡・下田の武士に贈った時計が29日から、横浜市中区の横浜開港資料館で公開される。これまでに動かない状態での展示はあったが、今回は古時計研究家によって修理され、動いている状態では初めて公開する。

 時計は1850年前後に米国で製造されたもので、ぜんまい式。高さ33・5センチ、幅24・5センチ。1時間おきに「ポーン」と時報が鳴る。

 時計は1854年に下田に来航したペリー艦隊から、下田奉行所の武士・山本謙兵衛に贈られた。現在の所蔵者である横浜市港北区在住の但馬惟義(これよし)さんの祖父・惟孝(これたか)さんが、1890年にこの武士から譲られたという。

 但馬さんの自宅に残る時計の来歴を記した記録などから、同館がペリー艦隊が日本に持ち込んだ時計と確認した。時計は昨年、古時計研究家によって修理され、再び動き始めたという。

 同館では「150年以上前の時計の音を聞きに来てほしい」と来場を呼び掛けている。

 6月6日まで。月曜休館。入館料一般200円、小中学生100円。開港記念日の2日は入館無料。問い合わせは同館電話045(201)2100。
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2010年05月23日

金沢区の瀬戸神社で居合道奉納演舞会子どもらが修練の成果披露

瀬戸神社
 横浜市金沢区瀬戸の瀬戸神社境内で、恒例の居合道奉納演舞会が行われた。地元住民らを前に、日本居合道協会の会員や県内外の道場に通う子どもら約80人が日ごろの修練の成果を披露した。

 紋付き袴姿の剣士が大きな掛け声とともに模擬刀を打ち合わせ、境内はぴんと張りつめた空気に包まれた。棒状に丸めた畳を真剣で切り落とす妙技も披露され、見物人からは感嘆の声と拍手が上がった。

 けいこのためスウェーデンやフィンランドから来日中の同協会海外支部の会員14人も参加。スウェーデン支部長で、現地の少年らに居合道を教えるアグバック・マッティンさん(43)は「刀など日本の文化に興味があり、26年前に居合道を始めた。礼を重んじる居合道の”ココロ”に魅力を感じる」と話していた。
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2010年05月22日

幕末〜明治前期の東本願寺法主が嫁ぐ娘にあてた手紙発見横浜人形の家で公開

横浜人形の家
 幕末から明治前期に京都・東本願寺の第21代法主を務めた大谷光勝(こうしょう)(1817〜1894年)が、明治維新を主導した公家岩倉具視の子に嫁ぐ娘にあてた手紙が横浜市内で見つかった。光勝が娘に託した市松人形とともに、横浜市中区の「横浜人形の家」で22日から公開される。30日まで。

 東本願寺などによると、光勝の手紙は岩倉具視の三男具経(ともつね)に嫁いだ六女梭子(おさこ)にしたためたもの。「天朝の御恩(ごおん)の程難有(ありがたく)存し奉(たてまつ)り政令(政府が定める命令)にそむく間敷(まじき)事」など5カ条が記され、激動の時代を経験した光勝が宮中や明治政府への配慮をにじませている。

 具経と梭子の長女の孫にあたる横浜市泉区緑園の中嶋信光さん(74)がこのほど、仏壇にあった手紙を見つけた。中嶋家に伝わる由来によると、光勝から梭子には手紙とともに市松人形「御小姓(おんこしょう)人形」(高さ35センチ)が渡された。その後、長女が嫁いだ中嶋家の家宝となったという。

 中嶋さんによると、人形は江戸後期の作で、伏見宮から嫁入りした光勝の妻が持参した。太平洋戦争時の空襲では顔に傷が付いた程度で着替えの着物とともに焼失を免れた。1986年に人形の家に寄贈された。

 2006年の改装後は公開されていなかったが、今回見つかった手紙も人形の家に寄贈される運びとなったことから、手紙の写しとともに展示されることになった。中嶋さんは「手紙を通じて人形がたどった数寄な歴史を伝えたい」。学芸員の伊井さえこさん(34)は「人形を今に伝えてきた人たちの思い感じてほしい」と話している。
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横浜大空襲の悲惨さ伝える脚本家小山内さんらが「平和のための戦争展」

平和のための戦争展
 1945年5月29日の横浜大空襲の悲惨さを伝える「平和のための戦争展」が21日、横浜市神奈川区鶴屋町のかながわ県民センターで始まった。同市鶴見区出身で自身も空襲を体験した脚本家の小山内美江子さんが、平和の尊さを訴えようと実行委員長になって毎年開催しており、ことしで15回目を迎えた。入場無料。

 会場には、2570トンの焼夷(しょうい)弾が落とされて壊滅した桜木町駅周辺の写真パネルや、焼け焦げた懐中時計、溶けたガラス瓶などを展示し、大空襲の壮絶さを伝えている。

 また、同市港北区の慶応大学日吉キャンパス内に残された旧海軍の地下壕(ごう)など、市内の戦争遺跡も紹介。このほか、77年に市内で起きた米軍機墜落事故や、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を再現したジオラマなどを通し、基地被害の解決を訴えるコーナーも設けられ、現代の平和問題も呼びかけている。

 同市南区から訪れていた主婦(70)は「空襲の時、目の前で焼夷弾が落とされて逃げたのを今でも覚えている。戦争の時は悲惨だった。そのことを伝えるため、こういった展示を多くしてほしい」と話していた。

 29日には特別企画として、疎開問題研究会のゆりはじめ代表の講演などが行われる。展示は23日まで。開場時間は午前10時〜午後7時(23日は午後6時まで)。問い合わせは、実行委員会事務局電話045(241)0005。
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美しいまちなみ優秀賞に「中区山手地区」国交省が発表

中区山手地区
 国土交通省は21日、優れた景観の形成、保全に取り組む地域を対象にした「2010年度都市景観大賞 美しいまちなみ優秀賞」に横浜市の「中区山手地区」=写真=が受賞したと発表した。市内地域の同賞の受賞は緑園都市(泉区)に続き2例目。

 同賞は2001年度にスタート、良好な景観は国民の財産という観点から、積極に景観形成に取り組んでいる地域を対象に表彰している。主催は「都市景観の日」実行委員会。

 中区山手地区は、業務・商業地域の関内地区に隣接する緑豊かな丘に広がる住宅地で、外国人墓地や西洋館などが立ち並ぶエキゾチックな街並みで知られる。街中を走る山手本通りは「日本の道100選」にもなっており、文教地区も形成している。

 学校跡地のマンション建設問題を契機に景観を守る住民組織が発足し、街並み保全のためのパトロールなどに取り組んでいる。実行委の診査講評では「ハード事業とソフト事業を合わせ地区資源を生かした長年にわたる取り組みが評価できる」としている。

 同優秀賞にはこのほか、南木曽町妻籠地区(長野県)など3カ所が選ばれた。
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2010年05月20日

ヨチヨチ歩きでお散歩…カルガモ家族愛らしく

白幡池公園
 ヨチヨチ歩きで“散歩”を楽しむカルガモのヒナ−。

 「白幡池公園」(横浜市神奈川区)の池で愛らしい姿を見せるカルガモのヒナ。泳いでいるときも、池のほとりに上がっているときも親ガモのそばを離れない。

 「今年は9羽かえったけど、もう1羽いなくなった。カラスに狙われるからね」と釣り人。散歩に訪れる人たちも、ヒナのかわいい姿に目を細め、アマチュアカメラマンはしきりにシャッターを切っていた。
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2010年05月19日

ウィンブルドンクラブ会長が初来日し国内テニス発祥の地で交流

横浜山手テニス発祥記念館
 テニスの4大国際大会の1つ、イギリスのウィンブルドン選手権を運営する「全英ローンテニスクラブ・ウィンブルドン」のティム・フィリップス会長(67)とクラブ会員が18日、日本のテニス発祥の地である横浜市中区の山手公園を訪問した。日本最古の会員制テニスクラブ「横浜インターナショナル・テニス・コミュニティ(YITC)」のメンバーと親善試合を行うなどして交流した。

 YITCによると、フィリップス会長と会員の計15人は、テニスを通じて日英の国際交流を促進しようと初来日。三渓園を訪ねた後、山手公園内の横浜山手テニス発祥記念館を見学し、日本最古のテニスウェアやラケットなどの展示品を鑑賞した。松沢成文知事も歓迎し、バーベキューパーティーでも交流を深めた。

 山手公園は1870(明治3)年、国内初の洋式公園として造られた。ウィンブルドンでテニス競技が始まった翌年の1876年には、同園でイギリス人貿易商の妻らが日本で初めてテニスを行ったとされる。
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2010年05月16日

「小柴のシャコ」漁がきょう再開3年ぶり待ちに待った江戸前の味の行方は

シャコ
 漁獲量の激減を受けて2007年3月から禁漁となっていた東京湾のシャコ漁が16日、再開される。江戸前ずしのねたとして知られる「小柴のシャコ」の3年ぶりの復活に、地元の漁業者からは「待ちに待った」と喜びの声が上がる。ただ、資源回復は十分ではなく、漁獲量制限付きの操業。漁の喜びをかみしめながらも、本格的な回復を模索する日々が続きそうだ。

◆歓迎ムード
 地元、横浜市漁業協同組合柴支所(同市金沢区)では禁漁中、タチウオやスミイカなどを捕って生計を立ててきた。「小柴のシャコのブランドが忘れられてしまう」と不安だっただけに、再開に歓迎ムードだ。「これで街に活気が戻る」との声も。

 水揚げされたシャコは、漁業者の自宅の加工場でゆでて殻をむかれ出荷される。加工に必要なはさみの消毒やシャコに適した網への切り替えなど、再開準備を進めてきた。ただ、かつてアルバイトにも人手を頼っていたが、今回は身内だけで作業する漁業者が多いという。16日に出漁する船も、柴漁港の小型底引き網漁船約50隻のうち20隻前後にとどまる予定だ。

◆資源管理の議論
 操業は、県が定めた資源回復計画に沿って、漁業者の協議会が策定した実施計画に基づき、1隻あたりの漁獲量や休漁期間などが制限される。同漁協は「柴支所は当面、隔週で週に2回操業、資源に回復が見られれば毎週2回に増やしていきたい」としている。

 再開に至る議論では、漁業者と県の間には温度差があった。漁業者は、自主的な禁漁も含めシャコを4〜5年捕っておらず、当初の資源回復計画の禁漁期間が今年3月末までだったことなどから、一日も早い復活を望んだ。一方、県は、試験操業や県水産技術センターの定点調査で資源の回復を確認できなかったため、もろ手を挙げての賛成ではなかった。結局、漁業者の切実な願いが漁再開を後押しした形だった。

◆多くは望めず
 最盛期の1989年には約188万枚(8〜11匹で1枚)の出荷があった「小柴のシャコ」。再開後、どれくらい捕れるのだろうか―。県水産課は「特に数字で予測はしていない」としつつ、禁漁前の05年の約11万枚には届かないとみている。同漁協でも、市場には卸すつもりだが、直売所で販売する見通しは立っていないという。

 小山紀雄組合長は「自然が相手なのでやってみないと分からないが、次の世代に漁が継続できるように慎重に捕っていきたい。それが柴の漁師の願い」と話している。
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2010年05月07日

横浜市内の銭湯の特色や歴史を網羅したガイドブック刊行

さあ、ヨコハマ銭湯へ行こう!
 50周年を迎える横浜市浴場協同組合が、記念誌「さあ、ヨコハマ銭湯へ行こう!」(1300円)=写真=を刊行した。市内105軒の特色や歴史を網羅したガイドブックだ。近年は大型入浴施設に押され、後継者不足と相まって経営は厳しいが、風格ある建物や懐かしい脱衣かごは銭湯ならでは。瓶の牛乳もよく似合う。いま一度“わが町のお風呂屋さん”を訪ねてみては―。

 神社仏閣と見まがうような格調高い破風屋根。銭湯の典型のようだが、実はこれ、東京周辺に特有の様式だそう。この本によれば江戸時代がルーツで、関東大震災後の復興過程で本格的に広まった。昭和30年代初めに建てられ、今も堂々たる木造建築をとどめる南区の仲乃湯を訪ねた。

 「祖父が宮大工に頼んで建てたそうです」と案内してくれたのは、3代目の高野善民さん(43)。のれんをくぐると、角材を格子に組んだ見事な格(ごう)天井が目に入る。ニスが塗り重ねられた柱やはりが、あめ色に輝く。「手入れが大変」と高野さんは苦笑するが、脱衣所や浴室は清潔そのもの。毎日、念入りに掃除し、お客を迎えるという。

 市内の銭湯の数は、1976年の479軒がピークで、以降は内風呂の普及とともに減少。今や2割ほどになってしまった。「昔はお客同士がカランを取り合うほど込んでいました。燃料のまきも、同業者に先を越されまいと競争でした」と、同組合理事長の谷口昭一さん(77)は懐かしむ。

 温泉ほど大仰でなく、家庭的な気安さが銭湯の良さ。最近では番台をやめてフロント式にしたり、気泡風呂を設けたりと、リニューアルも進む。「ゆったりできますよ」という谷口さんの言葉通り、人情が湯に溶け出しているようだった。

 本書の購入は、市内の銭湯か市浴場協同組合、電話045(252)4193。
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2010年05月03日

切手は楽しいね世界最初の切手や横浜最古の郵便も展示

かながわ県民センター
 「楽しい切手展」が3日、横浜市神奈川区のかながわ県民センターで開かれた。切手収集の普及、発展に努める財団法人日本郵趣協会主催。

 8月開催の青少年のための切手展と、来年7月開催の国際切手展がともに横浜市内で開かれるため、切手に関心を持ってもらおうと企画された。

 県内在住者中心に会員20人が「日本の絵画」「時代を映す標語印」などをテーマに、切手やはがきを展示。「神奈川県を描く郵便切手」では、年賀切手に伊勢原市大山の郷土玩具(がんぐ)竹ヘビが採用されたことや、日本の郵便制度の創始者である前島密の墓が横須賀市内にあることなども紹介された。

 1840年にイギリスで発行された世界最初の切手や横浜郵便役所(現横浜港郵便局)の消印が押された横浜最古の郵便も並べられ、使用済みの切手を使ったはり絵のワークショップも開かれた。
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通常のヒラメと違い歴然、背中側も“真っ白な”ヒラメを展示

八景島シーパラダイス
 腹側だけでなく背中側も“真っ白な”ヒラメの成魚(体長約35センチ)が千葉県・館山沖で取れ、横浜・八景島シーパラダイス(横浜市金沢区)のアクアミュージアムで展示されている。

 ヒラメは通常、目のある背中側が茶色で、周囲の環境に合わせて色の濃さや模様が変化する。

 同館によると、展示中のヒラメは先天的に色素が欠乏している「白化個体」のため、背中側も真っ白になった。目玉と、目の周辺、尾びれ、胸びれはかろうじて茶色だが、通常のヒラメと比べると、違いは歴然。生息する海底の砂の色に体色を似せる「擬態」もできないという。

 白化個体は敵から身を隠せず、餌を取るにも困難が伴うので、通常は生まれてもすぐ死んでしまうという。同館は「厳しい自然界で、どうやってここまで成長したのか」と、首をかしげている。
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2010年05月02日

けがして保護された野生動物を紹介野毛山動物園でイベント

野毛山動物園
 大型連休でにぎわう横浜市西区の市立野毛山動物園で2日、けがをして保護された野生動物たちの現状を紹介するイベントが開かれた。

 動物園に持ち込まれた「傷病鳥獣」は常駐する獣医師4人が手当てをしている。2009年度は合計50種、300匹を保護した。多くは鳥類で、スズメやヒヨドリ、メジロなど270匹。30匹はホンドタヌキなどの哺乳(ほにゅう)類だった。

 例年4、5月ごろは幼鳥が飛ぶ練習を始める時期に当たり、けがをして飛べずに親とはぐれてしまう例が増える傾向がある。講師を務めた職員が、集まった親子連れに「きれいに羽根のけがが治り、飛べるようになってから自然に返しています」と説明していた。

 なかには近くに親がいるのに気づかずに幼鳥を拾ってしまう「誤認保護」も。動物園は「親鳥は近くに人がいると降りてこない。しばらく見守って、それでも親が現れなければ動物園に連絡を」と呼び掛けている。
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大型客船レジェンド・オブ・ザ・シーズが横浜港に初入港万博開催の上海へ

レジェンド・オブ・ザ・シーズ
 大型客船「レジェンド・オブ・ザ・シーズ」(7万トン)が2日午前、横浜港に初入港した。午後には日本人客約1500人を乗せ、万国博覧会が開催されている中国・上海を目指し8泊9日クルーズに向かった。

 船内にはロッククライミング壁面やミニゴルフ場、スパやプールをはじめ、大型の劇場や免税店、カジノなどを備えている。インヴァー・ヌッセン船長は「船内ではカジュアルな雰囲気を楽しんでほしい」と話した。

 米国のロイヤル・カリビアン・インターナショナルが運航するバハマ船籍の客船で、1995年に就航。乗客が日本人で占めるのは今回が初めてという。

 親子3代の家族8人で乗船する横浜市泉区の会社員高橋司さん(37)は「初めて外国船に乗ろうと昨年秋から計画してきた。上海万博に行きたい」と話していた。

 10日と18日にも横浜港に寄港する予定。
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鎮座800年の杉山神社62年ぶり祝いの子供たちの稚児行列

杉山神社
 昨年9月に鎮座800年を迎えた横浜市南区宮元町の杉山神社で1日、子どもたちの「稚児行列」が行われた。特別な記念のときにだけ行われるこの行事は、現在の社殿が完成した1948年以来、62年ぶり。

 鮮やかな稚児衣装を着た3歳から小学校3年までの子どもたち70人は、父母らとしっかり手をつなぎ、杉山神社から蒔田駅南口商栄会、蒔田商店街、鎌倉街道をゆっくりと歩いた。

 子どもたちが手に持った「幸運の鈴」の音を聞くと、幸せになれるという言い伝えがあるという。商店街には、子どもたちのならす鈴の音が、しゃんしゃんとにぎやかに響いた。近くの住民たちも顔を出し、「元気ね」などと子どもたちに声を掛けた。

 神奈川区から参加した男児(5)は、「(着慣れない衣装)服は、少しきつかったけど、楽しかった」と満足げだった。
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2010年04月30日

フットサル「キャプテン翼スタジアム」誕生へ

 横浜・みなとみらい21(MM21)地区に隣接する横浜市中区の北仲通北地区に、海を望むフットサルコートが6月2日誕生する。再開発が本格的に始まるまでの暫定施設。サッカー雑誌専門の出版社が初めて運営を手掛ける。施設名は人気サッカー漫画にちなみ「キャプテン翼スタジアム」になる。

キャプテン翼スタジアム

 計画地は北仲通北地区の一画(約6千平方メートル)で、不動産開発・賃貸の森ビル所有地。不動産市況の低迷を受け再開発の着工を先送りしている。空き地や駐車場などにしておくより「地域のにぎわいを生み出す」(森ビル広報部)ために集客力の高い施設を設けることにした。契約期間は3年だが、着工が決まれば途中解約もあるという。

 縦30メートル、横16メートルのコートを3面設ける。7〜8人制サッカーやテニス、ラクロスなどにも使えるようにする。更衣室やシャワー室などを備えたクラブハウスのほか、カフェやビアガーデンも併設。「キャプテン翼」の作者高橋陽一氏と協力し、関連グッズなども展示する。

 多目的イベントスペースも設け、サッカー中継を放映するパブリックビューイングの実施も検討している。

 施設を運営する出版社「フロムワン」(東京都中央区八丁堀)は「新しいビジネス展開が欠かせない。サッカー業界で13年やってきたノウハウを最大限生かしたい」(事業開発本部)と話している。年間25万人の来場を見込んでおり、成功すれば都心部の空き地活用方法としてビジネス展開するという。

 フットサルコートの利用料金はビジターの場合、1面1時間で1万〜1万4千円。5月10日から予約を受け付ける。
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2010年04月29日

貝よりも人が多い?潮干狩りに2万人超える客

海の公園 人、人、人。横浜市金沢区の海の公園は29日、潮干狩り客でにぎわった=写真(本社チャーターヘリから、午前10時42分撮影)。大潮で午前11時すぎに干潮となり、潮干狩りには最適の条件がそろった。風が強く吹き小雨が降ったが、人出は2万5千人を数えた。

 管理する市臨海環境保全事業団は「横浜市の条例でアサリは一人2キロまで、2センチ以下の採取を禁止しているのでマナーを守って楽しんでほしい。そして電車での来園を」と呼び掛けている。
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