
横浜市心部に甚大な被害をもたらした横浜大空襲から29日で65年。体験者の高齢化が進む中、これからは戦後生まれの若い住民が地域の戦災を語り継ごうと、同市保土ケ谷区の会社員西田篤志さん(46)が、空襲の傷跡や体験者の声をホームページ(HP)にまとめた。娘の宿題を機に地元の戦災を調べ始めたという西田さん。HPには「親子で訪ねる横浜大空襲」とタイトルを掲げ、「家族で平和の貴さを考えるきっかけにしてほしい」と話している。
西田さんが横浜大空襲について詳しく知ったのは7年前。小学6年だった次女の梓さん(19)が、夏休みの課題で地域の歴史を調べていたのがきっかけだ。西田さんが一時暮らしていた同市西区東ケ丘付近は、横浜大空襲で大きな被害を受けていたが、「住んでいたのに何も知らなかった。本当に恥ずかしく思った」と振り返る。
以来、空襲被害の大きかった京急線黄金町駅周辺を歩き始めた。霞ケ丘丘友会館の観音像、東光寺の身代わり地蔵は、空襲で亡くなった人を慰霊するために建立されたものだ。遺体の仮安置所だった円覚寺には引き取り手のない遺体の慰霊碑もある。地元の高齢者らから体験談も聞いた。空襲に関連する事物を訪ねて、梓さんと歩いたコースは、HPで紹介している。
普門院にも周辺の被災者を供養する黄金地蔵が残る。割れた石碑も空襲で焼けたもので、「この石碑を見ると、石が割れるほどの熱の中で、多くの人が苦しみながら亡くなったのだと実感する」と西田さん。空襲で父を失った森芳圓住職(68)も「戦争の恐ろしさを風化させないように、若い人にも語り継いでいってもらいたい」と西田さんの取り組みに期待を寄せる。
HPでは、横浜大空襲の経緯を、祖母と孫の会話のスタイルで紹介したり、顔のイラストを並べて死亡者数を表現したりと、小・中学生にも分かりやすいよう工夫した。「身近なところに今も戦争の傷跡は残っている。子どもと一緒に訪れて、戦争の悲惨さを伝えてほしい」と西田さんは話している。HPのアドレスはhttp://otomodachi.net