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2010年05月05日

咲き誇る「つつじ寺」川崎の等覚院のツツジ見ごろ

等覚院
 「つつじ寺」として知られる等覚院(川崎市宮前区)のツツジが見ごろを迎えた。神奈川花の名所100選にも指定される約2千株の赤や紫色のツツジが、参道を覆うように咲き誇っている。

 4月中旬に冷え込んだ影響で例年より開花が約1週間遅れたが、キリシマツツジの後を追うようにオオムラサキが花開き、5月の連休中まで楽しめそうだ。

 等覚院へはJR武蔵溝ノ口駅南口からバスで「神木本町」下車、徒歩5分。
posted by ちーず。 at 14:02 | TrackBack(0) | 川崎市

45年前に倒れた大銀杏今年も若葉

八幡宮
 海老名市中野の鎮守「八幡宮」の大銀杏(おおいちょう)が今年も芽吹き、若葉の季節を迎えた。樹齢800年ともいわれるご神木で、45年前に倒れたものの枯れ木の樹皮からの枝が成長、今では高さ約10メートルに伸びている。「地域の伝統と文化を受け継ぐ礎」として氏子たちに丁重に管理され、移り変わる地域を見守っている。

 大銀杏は1965年の台風で根が浮き上がって倒れ、拝殿の屋根を破損。氏子らによって引き起こされたが、幹の一部を残して枯れてしまったという。しかし、枯れ木の樹皮からの枝が成長、現在の幹回りは枯れた部分を含め約8・5メートルになっている。

 氏子の農業清水正存さん(65)によると、95年に樹木医に保存治療や樹勢回復手当てを依頼したところ、樹齢は推定約800年と診断されたという。

 古文書の「鷹倉社寺考」(1659年、寒川神社の神官編著書)では、八幡宮は保元年間(1156〜59年)に「鎌倉鶴岡八幡ヲ勧請スト云フ」とあり、銀杏の周囲は「一丈九尺余リ」(約6メートル)で、「新編相模国風土記稿」(1841年、徳川幕府編さん)でも同様の幹回りが記されている。

 こうした由緒ある大銀杏。中野地区は江戸時代には四十数戸の農村だったが、周囲に住宅が増え、八幡宮の西側では圏央道の建設工事も進んでいる。風景は移り変わっていくが、子どもたちが遊び、人々が憩う境内で、大銀杏は静かに地域を見守り、成長し続けている。ことし3月、鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れた。清水さんは「中野の八幡宮の大銀杏とは格が違い、わたしたちがどうのこうの言うことはできないが、再生を願っています」と話している。
posted by ちーず。 at 14:00 | TrackBack(0) | 海老名市

見ごろはそろそろ?長井さん方のフジが開花に遅れ

フジ
 南足柄市千津島の長井高平さん(83)方のフジの開花が今年は遅れている。3月末の寒さで凍害に遭ってしまったからだ。3日現在でまだ三分咲き。この陽気で開花が進み、5日ごろに見ごろを迎えるという。庭には甘い香りが漂い始めている。

 長井さんは毎年、この時期に庭を一般開放し、ふじ祭りを開いている。約500平方メートルに30本ほどがある。3月末の寒さで花芽が凍って茶色くなってしまった。棚ではなく立ち木の形でフジを育てて40年以上になるが、「こんなことは初めて。例年よりも10日は遅い」と話す。

 現在、早咲きは見ごろを迎えているが、満開の花が滝のように垂れ下がるまで、もう少し時間がかかりそう。訪れた人たちは「遅れているのかしら」などと心配していた。開花の遅れに対応するために、当初は6日までだった祭りを10日まで延長することにした。

 問い合わせは市役所内の市観光協会電話0465(74)2111。
posted by ちーず。 at 13:53 | TrackBack(0) | 南足柄市

2010年05月03日

切手は楽しいね世界最初の切手や横浜最古の郵便も展示

かながわ県民センター
 「楽しい切手展」が3日、横浜市神奈川区のかながわ県民センターで開かれた。切手収集の普及、発展に努める財団法人日本郵趣協会主催。

 8月開催の青少年のための切手展と、来年7月開催の国際切手展がともに横浜市内で開かれるため、切手に関心を持ってもらおうと企画された。

 県内在住者中心に会員20人が「日本の絵画」「時代を映す標語印」などをテーマに、切手やはがきを展示。「神奈川県を描く郵便切手」では、年賀切手に伊勢原市大山の郷土玩具(がんぐ)竹ヘビが採用されたことや、日本の郵便制度の創始者である前島密の墓が横須賀市内にあることなども紹介された。

 1840年にイギリスで発行された世界最初の切手や横浜郵便役所(現横浜港郵便局)の消印が押された横浜最古の郵便も並べられ、使用済みの切手を使ったはり絵のワークショップも開かれた。
posted by ちーず。 at 20:31 | TrackBack(0) | 横浜市

いざ出陣!小田原で北條五代祭り早雲公役に阿藤快さん

北條五代祭り
 いざ、出陣―。小田原市の北條五代祭りが3日、開かれ、甲冑(かっちゅう)姿の騎馬武者やあでやかな姫君などが小田原城址周辺を練り歩いた。

 初代の早雲公には俳優で小田原ふるさと大使の阿藤快さんが扮(ふん)し、1800人の行列が小田原城址から商店街を通る2・7キロの道のりをゆっくりと進んだ。

 沿道は18万人(市観光協会発表)の観光客や市民で埋まり、大勢の外国人観光客の姿も。眼前で再現される勇壮な戦国絵巻を興味深そうに眺めていた。
posted by ちーず。 at 20:30 | TrackBack(0) | 小田原市

通常のヒラメと違い歴然、背中側も“真っ白な”ヒラメを展示

八景島シーパラダイス
 腹側だけでなく背中側も“真っ白な”ヒラメの成魚(体長約35センチ)が千葉県・館山沖で取れ、横浜・八景島シーパラダイス(横浜市金沢区)のアクアミュージアムで展示されている。

 ヒラメは通常、目のある背中側が茶色で、周囲の環境に合わせて色の濃さや模様が変化する。

 同館によると、展示中のヒラメは先天的に色素が欠乏している「白化個体」のため、背中側も真っ白になった。目玉と、目の周辺、尾びれ、胸びれはかろうじて茶色だが、通常のヒラメと比べると、違いは歴然。生息する海底の砂の色に体色を似せる「擬態」もできないという。

 白化個体は敵から身を隠せず、餌を取るにも困難が伴うので、通常は生まれてもすぐ死んでしまうという。同館は「厳しい自然界で、どうやってここまで成長したのか」と、首をかしげている。
posted by ちーず。 at 20:28 | TrackBack(0) | 横浜市

トンビにさらわれた豪州原産トカゲ拾得物として警察署に

フトアゴヒゲトカゲ
 葉山町一色のマンション駐車場の植え込みで、豪州原産の「フトアゴヒゲトカゲ」が捕獲され、近所の男性が1日、拾得物として葉山署に届け出た。同署が飼い主を探していたところ、捕獲された場所から西に約150メートル離れた住宅街に住む主婦(35)が2日、飼い主と名乗り出た。

 同署によると、トカゲは体長約45センチで、胴体部はクリーム色。のどのあたりにとがったうろこがあり、興奮すると黒さを増し、ひげのように見える。国内でも販売されており、ペットとして人気が高いという。

 同署に対し、主婦は「庭でひなたぼっこをさせていたら、トンビに持って行かれた」と説明。同署はトカゲの特徴や携帯電話に収められた画像から飼い主と認定した。現在は衰弱しているため、横浜市立野毛山動物園が保護している。

 同署の栗山不二夫副署長は「珍しい“拾得物”。飼い主が見つかり、ほっとしている」と胸をなで下ろしていた。
posted by ちーず。 at 09:47 | TrackBack(0) | 葉山町

戦争は愚かで役立たず「ひょうたん島」に携わった須田さんの心に残るメッセージ

井上ひさし
 劇作家井上ひさしさんの死去から1カ月がたとうとしている。世の流れを読み、深刻な問題を笑いと風刺で切り取った“現代の語り部”。反戦や護憲の立場で発言し、作品には平和や民主主義の要素を盛り込んだ。代表作「ひょっこりひょうたん島」の制作に携わった人形劇団ひとみ座前代表の須田輪太郎さん(81)=川崎市中原区=の心に残る、井上さんのメッセージとは−。


■マムシは戦争遺産

 「マムシがね、多いんですよ」。2005年9月、「かわさき九条の会」発足を記念した特別講演での第一声が、この意外な一言だった。「自宅のある鎌倉から茅ケ崎などにかけた相模湾沿岸は本当に多い。実は戦争末期、米軍の本土上陸を警戒した旧日本海軍が海岸線に穴を掘らせ、中にマムシを入れたんです」。笑いにわく聴衆。そこで一言。「でも米軍人は厚いゲートルを履いているから、かみつけるわけない。おかしいですよねえ」。須田さんは、井上さんらしい語り口を鮮明に覚えている。

 「戦争をパロディーにして描いていた」と須田さん。1960年代にテレビ放送されたひょうたん島では頻繁に戦争が繰り広げられた。「住民は島を守ろうと奮闘するが、その姿がトンチンカンで視聴者は『ばかだな』って笑っちゃう」。島の大統領ドン・ガバチョは戦国武将豊臣秀吉をまね、よろいかぶとに身を包み采配(さいはい)を振る。住民はハチが飛び出す機関銃で攻めてくる海賊をやっつける。こっけいさの裏には「『戦争は愚かで何の役にも立たない』というメッセージが込められていた」と須田さんは言う。


■幽霊は自由の象徴?

 「ひょうたん島の住民は幽霊なんだ」。あるとき、井上さんがふと言ったという。その真意は聞かずじまいになったが、こう推測する。「幽霊は何ものにも拘束されない。自由の象徴として描きたかったのだと思う」。ライオン、ギャング、海賊…。島には個性豊かなキャラクターが次々と登場したが新参者を排除することはなかった。「時にけんかもするけど、互いの違いを認めながら一緒に生きていこうと。民主主義の形を追及したのでは」

 一国の大統領に、子どもである“島の超天才少年”博士が「それじゃだめだよ、ガバチョさん」と意見する場面がしばしばあった。


■笑いは献身的であれ

 「ユーモアと笑いなしには語れない人」。制作の打ち合わせで、放送局のエレベーターで出くわしたときのこと。1階で一緒に乗り込んだ当時30代の井上さんは「わたしはここで」と2階で降りた。だが3階に着き扉が開いた瞬間、目の前には彼の姿が。「やあ、みなさんしばらくです」。涼しい顔で再び乗り込んできた井上さんに、周囲は大爆笑だったという。「みんなを笑わせようと、階段を猛烈にダッシュしたわけです。『笑いは献身的でなくてはならない』と思いましたよ」

 心に残るのは、井上さんが座右の銘とした言葉。

 むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに―。
posted by ちーず。 at 09:45 | TrackBack(0) | 川崎市

2010年05月02日

尊徳研究第一人者の佐々井父子の足跡紹介著書や機関誌など展示

報徳博物館
 二宮尊徳研究の第一人者として知られる故佐々井信太郎さんと、長男の故典比古さんの足跡を紹介する展示会「現代報徳をひらく―佐々井信太郎 典比古父子の歩み―」が、小田原市南町の報徳博物館で開かれている。31日まで。

 信太郎さんは1874年、兵庫県生まれ。神奈川県立第二中学校(現小田原高校)で教師をしていた1900年代初めに尊徳研究を本格化。県社会教育課長や、尊徳が実践した「報徳思想」の普及を目的にした大日本報徳社の副社長などを務め、71年8月、97歳で死去した。

 典比古さんは17年、現在の小田原市生まれ。信太郎さんの影響で尊徳研究の道に入った。副知事など県の要職をこなした後、70年代後半から研究を本格化。98年まで報徳博物館の初代館長、91年からは博物館を運営する報徳福運社理事長を務め、昨年3月、91歳で死去した。

 会場には、信太郎さんが研究家としての地位を固めた二宮尊徳全集全36巻や、尊徳の弟子の著作を現代語で紹介するため、典比古さんがそのほとんどをまとめた現代版報徳全書全10巻など約300点が並ぶ。

 さらに、報徳思想の実践方法などの普及を目的に52年に設立された一円融合会の月刊機関誌「かいびゃく」の創刊号(52年9月)から最終号(2000年11月)まで全577冊を展示している。同会の初代理事長は信太郎さん、第2代を典比古さんが務めた。

 6、7、10〜12、19、26日休館。午前9時〜午後5時(入場は同4時半まで)。大人200円、小学生から19歳まで100円。問い合わせは同館電話0465(23)1151。
posted by ちーず。 at 22:31 | TrackBack(0) | 小田原市

けがして保護された野生動物を紹介野毛山動物園でイベント

野毛山動物園
 大型連休でにぎわう横浜市西区の市立野毛山動物園で2日、けがをして保護された野生動物たちの現状を紹介するイベントが開かれた。

 動物園に持ち込まれた「傷病鳥獣」は常駐する獣医師4人が手当てをしている。2009年度は合計50種、300匹を保護した。多くは鳥類で、スズメやヒヨドリ、メジロなど270匹。30匹はホンドタヌキなどの哺乳(ほにゅう)類だった。

 例年4、5月ごろは幼鳥が飛ぶ練習を始める時期に当たり、けがをして飛べずに親とはぐれてしまう例が増える傾向がある。講師を務めた職員が、集まった親子連れに「きれいに羽根のけがが治り、飛べるようになってから自然に返しています」と説明していた。

 なかには近くに親がいるのに気づかずに幼鳥を拾ってしまう「誤認保護」も。動物園は「親鳥は近くに人がいると降りてこない。しばらく見守って、それでも親が現れなければ動物園に連絡を」と呼び掛けている。
posted by ちーず。 at 20:45 | TrackBack(0) | 横浜市